shumishumi-mamaのブログ

姉からの虐待 認知症母との戦い 今までのこと これからのこと

姉のこと⑮

私は 晴れ晴れとした いい気分だった



姉から 時折 手紙が届いた




一人暮らしのこと 大学での勉強のこと

つらつらと 書かれてあった



そして




一回だけ



シュミ あんなに 殴ってごめんね




と書かれていた

ええ! そんなに殴られてたの?

母に聞かれた


私は 素直に頷くだけだ


両親からは 特に リアクションは なかった様に覚えている


どうしたらいいのか

何を言ったらいいのか おそらく 両親にも

わからなかったのであろう


慰めようがないのが 現実だろう



なにせ 姉から 絶対に 周りに 自分が姉にされていたことを 言ってはいけない と 鍵を刺されていたのだから 周りが知らないのも当然であろう



ただ、この 何十年か後

母は こう言っていた。



〇〇(姉の名)はいつも 激しい性格で シュミちゃんと 二人きりにしておいたら いつか なにか あって 包丁でも 出して 殺してしまうのではないか と 思ったことが あった



そして



今 私は 従姉妹 従兄弟に 姉のことを 話し始めた すると


やはり


なんだか 怖い人だったよね〜

あの頃は 言えなかったけれど

とにかく 付き合い辛い感じで 嫌だったよね


と いう 話が たくさん出てきたのだ

姉のこと⑭

姉の浪人生活が始まった


生来の真面目すぎる性格で (アソビがないとも言う) 日々 勉強していたが



かなりの苦戦



高校三年時になっても なにせ be動詞 の意味すらわからなかったそうなのだ。

壊滅的に 英語ができなかったのだ

英語が不得手 ということは かなりの

不利なのだ






私は 姉を 怖いものを見る様に

一線を画して 生活していた





とにかく 嫌いだった






早く どこへでもいいから 大学に入って

この家から 出て行って欲しかった





この家から 通えない大学に 行ってほしいと願っていた



そして 一年後


やはり 姉の志望校には 全く届かず




たったひとつ 合格した大学は 家から 3時間半も

かかるところだった





しばらくは 自宅から通っていたが GW後

やっと 姉は 家から 出て行った


大学の近くに 部屋を借りたのだ





私は 開放された気持ちだった

姉のこと⑬

やっと 姉に 反抗したい気持ちが芽生えた私



すると



なんだ その反抗的な目は!

言い訳言ってんじゃねえぞ!

甘えてんじゃねえぞ!


さんざん 姉の暴言は続く



ストレスが溜まっていたのだろう


何十年も後に 聞かされたことだが

姉は 中学生の頃は ひどく虐められていたそうだ


虐められる方も悪い その言い方は 間違っていると 私も 思う けれど 姉の あの

いつも 上から目線 周りに壁を作り誰も寄せ付けない超然とした雰囲気 周りを馬鹿にする発言 あれらは いつ頃 作り出されたものだったのだろう あれでは 友達は できようはずがない もし 私が 姉と同じクラスになっても 絶対 仲良くはなれないタイプだ



でも 私は たまったものではない

学校で 虐められているストレスを 私を

殴ることで 晴らしていた ということだ


そして


高校生になれば 成績が思う様に上がらないストレスを 私を 虐めることで晴らしていたということだ



姉は 全ての受験校に




落ちた